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2012/03/22

社会人について考えるときに僕の語ること

先日、数少ない経験にもかかわらず、大学の震災ボランティアフォーラムでお話する機会をいただきました。自分でプログラムを立ち上げている人がいる中、僕は他人の作った土俵に載せてもらって、単発で2回行っただけですが、プレゼンするのも役割だと思って行ってきました。そのときの記事はこちら。

その後、参加者の方から、主催しているメルマガに記事を書きたいという依頼を間接的に受け、このブログに書いているようなことをまとめて寄稿させていただきました。ボランティアをしていると素敵な方とばかり出会います。

とまぁ綺麗な話をしたところで、ダークで青い僕にお出ましいただきましょう。

そのメルマガってのは、「最近の若者は…なんて言われるけれど、実はそんなことないんだ、素敵な若者に注目して、そっから教育を考え直そう、な大人の会」が発行しているもの。メルマガの原稿を送った段階で、読んだ編集員の方から、「このような若者がいると知り…社会人の一員として背筋が伸びる思いをしました」とのコメントをいただきました。そのコメントに、カチン。不躾ながらその言葉の真意は知らぬままに、持論を展開します。

社会人、member of society、これほど傲慢で曖昧な言葉もありません。なぜ前述のコメントに違和感を感じたかというと、【社会人】が無条件に【学生/若者】の上にいると感じたからです。そんな考えを無意識にも持ってるやつが、そのメルマガの発行者側にいるならば、メルマガの持つ問題意識はいつまで経っても解決されるはずがありません。このように社会人と学生を対比させてつかっているならば、学生は社会の蚊帳の外にいることになる。学生だって税金を納めて、選挙権を持った社会の一員なわけです。企業に務めて辛い思いをしてお金を稼いで、そのことだけで誰かより優っているという承認欲求しか得られないやつは、犬にでも食われてしまえばいい。

とりあえず今は、社会人を【その人が属する社会を、存続させるためのアウトプットをしている人】と考えます。属する社会とは、人類でもお国でも企業でも家庭でも恋人でも、規模を問わず人の集合のこと。存続する…とは、どんな生物でも今生きているのは生き延びたことこそが理由だから。社会人の対義語は学生ではなくて、【属する社会の存続のためのアウトプットをしない人】です。決して【…インプットする人】だけではない。世の中には知ってか知らずか、属する社会を殺すようなアウトプットをする人や、ただ他人のアウトプットを消耗するだけの人もごまんといます。アウトプットの形も多様で、それはどこに属するかで決まるものではない。逆に、いくら正しいことを考えていても、それを何らかの方法で表現しなきゃ、それは存在しないのと同じこと。

大事なのは、今自分が今どちらの側か自分で判断すること。決して給料みたいな外部の基準に判断を委ねてはいけない。もうひとつ、その上で今を楽しんで生きること。今が他人のアウトプットの消耗だけだろうが、あなたが楽しく生きることが、社会の存続のそもそもの目的です。

一方で、件のメルマガ発行者の方は、似たような違和感を感じた先輩のコメントを踏まえた上で、「これは私にとって新たな気付きだった」とのコメントを載せていました。幾つになってもパラダイムシフトを受容できる柔軟さを持ちたいものです。


関係ないけどスーツの似合う女性といえばこの人



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