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2013/03/26

母校の演奏会

卒業以来7~8年ぶり(!)に、母校の母部の演奏会に行ってみた。
なんだか客観的に見れた。良かった。
そんなINPUTな週末の日記。

勢い任せの演奏は懐かしいままに、2部の劇の演出力が上がっていた。
ここは先生の表現の場でもあるのだなぁ。毎年学生が変わってゆく中で、ただ一人顧問の先生だけは変わらなくて、やりたいこと、生徒にやらせたいことが更新していくんだなぁ。

この歳で昔話するのはダサいけど、高校生当時の僕はこの10年くらいの中で一番新しいものを生み出してた気がする。どっちかっつーとハマってたのは、演奏よりも100人規模の組織の事業拡大だったけど。

10年たっても同じ光景が広がっているってのは、いいものですね。



劇の中で、地震のシーンがあった。瞬間、客席は静かな緊張感で満たされた(ように感じた)。3.11以降、地震の演出はただの演出ではなく、皆にとって事実の後追いになった。そこから危機を救うスウィングレンジャーが出てきて、陽気な音楽が流れて、それはまるで3.11から日常を取り戻すまでの流れの追体験だった(ように感じた)。フクイチの話題や『計画停電』なんて言葉まで取り込んで、物議を醸す可能性もあったと思われるこの劇をやった顧問の先生のブログがこちら。

県立新潟高校に「学校を爆破する」との電話があり、開始直前だった高校入試を遅らせ、受験生をいったん待避させたというニュースをみた。幸い、爆発物は発見されず入試も実施されたようだ。少し前にも、これから学校を襲撃しますと警察にメールが届き(だったっけ?)、休校にしたとかあった。静岡県だったかな。こういう悪質ないたずらを時折耳にするものだ。
 じゃあ、そういうのをネタにしてみようか、学校にそんな連絡が入る、実際に爆破物がしかけられている、それをレンジャーが決死の覚悟で阻止しに行くというお芝居にしてみる?
 二年前、そんな脚本を書いて、さあ練習に入ろうかとしてたとき、大震災が起こった。
 その後の数日の状況のなかで、軽々しく「爆発」とか口にできる状況ではなくなった。
 どうしようかと悩む時間もほんの少ししか与えられないうちに、定演自体を中止せざるを得ない状況になった。
 あれから二年。
 あの後何があったか。時間をおいた今、少し客観的に思い返すことができる。
「苦境に追い込まれた時はじめて人の真価が問われる」といわれる。
 二年前の、想像も絶する苦境のなかで、責任逃れしか考えてないと思わざるを得ない方々を見かけた一方で、ほんとうに自分を捨てて、命をかけて日本を守ろうとした人がいた。 
 あのときは、ほんとうにレンジャーはいた。たくさんいた。頭がさがる思いだった。今もいる。
 そんな思いをこめた今年の二部の脚本を、やっとだけど練習開始した。 
『水持先生の顧問日誌』2013年3月11日版より。 

何が言いたいって音楽の力ってすごいってことを言いたい。
あの時、異様な雰囲気の中、陽気な音楽を演るスキルを持った人たちが、街角に出て音楽を演奏していたら、ちょっとは気が紛れたかな。それともそんな雰囲気じゃなかったかな。

もう2年経つけど、そんなことを手の上に乗せて考えようとした時に、記録に頼らなければきちんとした議論ができないほどに、記憶って曖昧。



そうそう、震災といえば、参加していた災害ソリューション実践の活動が本になりました。
あの時活動を主催していた方々が、一連の活動で得られた知見をまとめたものです。
震災に生暖かく触れた僕が出会ったのは、自分の興味や信念のために、人や組織を動かすことができる、カッコいい30代の大人たちだった、ってのも忘れないようにしよう。


~*~*~

親父の言葉で印象に残ったもの。の意訳。

『なんでも、ハマって深めるにはまず誰かのファンにならないと。
 誰か一人をとことん知って、そこからその世界を見て、初めて見えるものがあるよ。』

去年度は浅く手を出しまくったから、絞って深めるのが来年度の抱負。

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